不純になりたいとしばしば思う。不純な性欲に突き動かされて生きることができたならば、今抱いているような葛藤を覚えずに済んだだろうと感じるからだ。
具体的な表現は忘れたが、「実質童貞も同然だ」的なことを言っている知人がいた。これは「最近は性行為をしていない」という意味である。私はこの発言を聞いて気が狂いそうになってしまった。
性行為は通常の生活から排除されていて、性行為という概念をほとんど意識しなくても十分暮らしていける。私は、いわば性が漂白された毎日を生きている。私は自分でも夢見がちだと思う。ファーストキスもまだの私は、性行為なんてどこか遠い国の自分には関係のないことだと思っていたかった。実際高校時代はそう信じて過ごしていたし、大学生になってマスターベーションを知ってからも、性行為はプロだけが関わっている"画面越しの世界"のものであって、"こちら側の世界"のものではないと心のどこかで思っていた。
「最近は性行為をしていない」ということは、「かつては性行為をしていた」ということに他ならない。具体的で、身近で、同年代の、会ったことのある人が、性行為を経験済みであるという事実は、この私の世界観と真っ向から対立するものだ。性に興味と嫌悪がないまぜになった微妙な感情を抱く私にとって、それは婚前交渉の実在性を突きつけ、私が目を背けたかった内心の矛盾を暴こうとするものに感じられて、何気ない発言に強烈な苦しさを覚えるのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿