2018年12月31日月曜日

2018年

・1月
数理演習の自由研究。その他色々のレポート。
雪が降った。バイオイメージングのレポートを出しに行くのに難儀した。雪だるまを作った。

・2月
京都を経由して帰省する。主に田崎統計力学IIを読んで過ごしていた。

・3月
実家で「熱力学 現代的な視点から」や「チャート式 新生物」を読んだり、ゆるキャン△を視聴したりしてゆったりと過ごしていた。
3/26に京都に行く。哲学の道、北野天満宮、野宮神社、天龍寺、円山公園に行く。梅と桜を堪能した。3/27には京大で研究室見学をした。
3/28に京都を出発し、札幌へ行く。京都に住んでいるmiria__akagiと札幌に行くのだが、二人とも全く打ち合わせをしておらず別々に飛行機をとったため、別々に京都を出発し札幌で合流した。札幌では味噌ラーメンを食べたり道庁に行ったりラムしゃぶを食べたり銭湯に行ったりセコマに行ったり北大の研究室見学に行ったりした。

・4月
小樽でかまぼこを食べたりまた研究室見学に行ったりした。4/3に札幌を発ち東京に戻った。
分子分光の研究室に配属された。先生から渡された論文の意味がわからず四苦八苦していた。
駒場で農友会の人たち3人と花見をした。kokubunjigaisenの梅酒が美味かった。東工大で研究室見学をした。母校出身で今東工大で助教をされている方にもお会いした。
筋トレ実験のバイトを始めた。

・5月
理物で研究室見学をした。引き続き慣れない分野の論文に苦しんでいた。セミナーも結構しんどかった。
五月祭ではサークルで色々やった。結構盛り上がって楽しかった。

・6月
上旬、梅雨で研究室の機械の調子が悪くなってくる。
中旬、TOEFL-ITPの試験があった。それを口実に研究室をサボった。
下旬、研究室で僕の指導を担当していたTAの人が大学に来なくなった。また、研究室の先生のあまりにも忙しそうな様子を見てアカデミアに対する意欲を失ってしまった。

・7月
北大に出すレポートを仕上げるのに苦しんでいた。出願した。

・8月
院試勉強からの院試。この辺は別に記事を書いた。終わったらひたすらゼルダ。

・9月
ゼルダゼルダDCSS2018ゼルダいとこの結婚式ゼルダゼルダゼルダゼルダ

・10月
駒形どぜう。卒研が液体論に決まる。東京ジャーミイ。

・11月
旧岩崎邸、湯島聖堂、東京国立博物館、東京証券取引所、三河島水再生センター、清澄庭園、小石川植物園、旧古河庭園と色々行った。きらら展にも行った。きらら展に触発されて棒人間の漫画を描いたら、それをフォロワーのフォロワーの人が美少女漫画にしてくださって、とても嬉しかった。

・12月
ゆゆ式展。スマブラ。浜離宮、国会、最高裁、国会図書館。
学科の人と死生観を語ったり、ピザパーティーがあったり、卒業間近にして急速に仲が深まった感じがある。卒業が惜しい。
やる気を無くして遊び呆けていたせいで卒研のヤバさがいよいよ深まってきた。それでも現実逃避をして漫画を描いたり年賀状の準備をしたりスマブラをしたりしていた。現実逃避のやりすぎでもうリアルがどこにあるのかわからない。全てはフェイク。

・全体的に
全体的にやる気のなさが増加していき、どんどん気力が落ちて勉強が手につかず、勉学の面ではかなり陰鬱な年だった。何もわからない、どうすればいいのかわからないと思った。もう限界だと思ったこともあって、とりあえず場所を移る選択をしたが、これが正しいのかは不明である。まあ正しい選択なんてものはないわけで、俺が選択を正しくする、それだけである。来年もできる限り己の選択を「正解」と思えるよう全力を尽くしていく。その結果がどうなるか。どうなっても、受け入れるしかない。
2019年の目標だが、もう生きることへの執着心もさほどない(死んだら死んだでよい)ので、まあ怪我をしないとか、生活に慣れるとか、バイタリティーを高めていくとか、そういったものになるだろう。

12/31

今年が終わる。私は現実逃避をする。すなわち、アニマエール!ととなりの吸血鬼さんの最終話を見た。dアニメストアを解約した。

2018年12月26日水曜日

12/26

論文を読んで積分方程式を収束させるアルゴリズムを学ぼうとするが、まるで分からない。つらい。
帰省をする。新幹線である。そういえば一年生の夏は通過する京都駅に微妙な思いを抱きながら帰ったな、と思った途端、大学生活の記憶が噴き出してきた。どれもとても最近のことのようにありありと思い出せるのに、私はもう四年生で、もうすぐ卒業で、一体どうすればよいのか分からなくて泣きそうになる。私はそのときの私とはすっかり別人になっていて、本当はそれらの記憶を懐かしいと感じるべきなのだろうと思うのだが、その時々の切迫した感情は今の別人になった私にもたやすく蘇ってきて、それらが過去のものになっていくことがただただ信じられない。大人になることを未だに拒み続けている私には、受け入れがたい現実を突きつけられたように感じられる。時よ戻れ、それか俺を安らかに殺してくれ、そんな非現実的な願いと、己の中に積み上がった過去への思いが混ざり合って、ただひたすらにどうしようもない感情を形作っていた。

2018年12月25日火曜日

12/25

全然わからん、何もできん、目を逸らしてきた卒研に目を向ける、俺の無能さ、助けてくれ

2018年12月20日木曜日

12/20

祖父母宅の家のキッチンには透明な壁で囲まれた一角がある。これは食料庫で、地下道を通って入るようになっている。伯母を困らせようと地下道に罠を仕掛けてみた。すると、伯母は私も知らない経路でいつのまにか食料庫に侵入していたようだった。
さて、私は母方の祖父・父とともに温泉に入っていた。しばらくすると、祖父が、我々が風呂に入り始めてから1日が経ったと言う。確かにそれくらい経った気がする。3人とも上がった。
帰宅した。母とともに、祖母を迎えに行くことになっていた。母は、不機嫌そうに父の死を告げた。聞けば、車を運転していた父は、執拗な煽り運転を受け路肩に停車したところ、横から衝突されて殺されたのだという。私は大いに混乱した。気付けば祖母を迎えに行く母の車内にいて、私はその中でただ泣いていた。

……あっ、と声が出る。目が覚めた。よかった、夢か。私はほっとした。目を開けたその瞬間、私の目から何粒もの涙がこぼれ落ちた。夢の私だけでなく、現実の私も夢を見ながら泣いていた。

私は救いを求めているが、他人のそれは求めていないしあってほしくない。私が救われても何も悲しくない(救われた私に感情はない。これは、救いが救いとして機能する理由の1つといっても良い)が、他人が救われるのは大変悲しい。私は他人の感情にやや無頓着かもしれないが、自分の感情には大いに注意を払う。私は自分の救済を待ち望んではいるものの、他人の救済は嫌である。私は自分勝手な人間だと、つくづく思う。

2018年12月19日水曜日

2018年12月16日日曜日

12/11 午前: 浜離宮

注意: 排泄の話が苦手な方は、この記事を読まれないことをおすすめする。

12/15

こんばんは 今日も無為 さようなら昨日 さようなら時間 あとは早く眠ってさようなら世界したい!きゅう

2018年12月15日土曜日

2018年12月14日金曜日

12/13

この世界、狂気がなくて生きられるか!!!(私は狂気が足りないので、死)

2018年12月9日日曜日

12/8

一日中スマブラをやっていた。もう生産的なことが何もできない。己の無力さを痛感している。

12/7: スマブラ発売

スマブラ発売日である。当然スマブラを遊ぶ。
実はPS4も買った。ソフト2本が付いて5000円引きキャンペーンにpaypayの2割還元が乗っかったのである。これ以上の買い時はないだろう。問題はもう直ぐ引越さねばならないことだ。私はまた引越しの荷物を増やしてしまった。それにしても引越しのやり方がイマイチ分からない。全然引っ越せる気がしない。人間、どうやって引っ越すのだろう。