3/12 (1)
久しぶりにwi-fiが使えるようになった。今は実家にいる。新居のwi-fiはすぐに使えるようになると思っていたが、どうも10日ほどかかるらしい。これは私の計算ミスであった。
wi-fiが使えるようになったので、ようやくblogが書ける。これまでの出来事を記録していこう。
3/5
退居の当日である。wi-fiは3/4付で解約したためもう使えない。
起床して、思ったより部屋が片付いていないことに気が付いた。時刻は11時だ。ひとまず、学食パスの残りを使うため大学に向かう。昼ご飯を食べていると、学科の友達のM君に会った。「おはよう」と言うと「(挨拶が)新しいな」と言ってくれた。M君は新しがり屋さんである。そう伝えると「(表現が)新しい」と言ってくれた。「新年度も新規性を追求していってくれ」と言って別れた。そのあとは生協から脱退し、JK棟で明渡承諾書を印刷し、下北沢の100均でプチプチを買った。
いとこと合流し、片付けの作業を開始した。引っ越し業者(人力引越社)が来るのは午後4時である。フリー便にしていたため3/3まで何時に来るのかわからなかったが、時間が遅くて助かった。これがもっと早ければどうなっていたことか。
冷蔵庫や洗濯機にプチプチを貼り、机や引き出しの中身をダンボールに詰めた。そうしているとプチプチが足りなくなったため、布団カバーで冷蔵庫をくるむことにした。こうして500円分のプチプチでは足りないということが分かった。
靴箱の中、キッチンの下など、すっかり忘れていたところに色々な荷物があって大変だった。なんだかんだで用意していたダンボール箱15箱を全て使ってしまった。片付けは15時半くらいまでかかった。
業者の人は手際よく荷物を運んでくれ、作業は17時に終わった。そこから明渡承諾書を記入し、不動産屋さんを呼んで退居した。丸の内の東京中央郵便局に行って借りていたモデムとルーターをNTTに送りつけ、実家に帰った。家に着く頃には11時になっていた。
引っ越し作業は早め早めにやっておくべきということは分かっていたが、東京を発ち大学を卒業することに伴って参加しておきたいイベント全てに参加していたらこうなってしまった。引っ越し作業が長引いたのは、捨てるのが面倒臭くて捨てていないものを溜め込んだことが原因である。来年度からはキャッシュフローならぬマテリアルフローを改善し、物質を減らした生活を目指したい。
3/6
実家で眠っていた。本当は入学のための書類を記入しなければならないのだが、それもしなかった。面倒だったためである。
3/7
入居の当日である。
京都市役所で転入の手続きをしようとすると、それは区役所でやってくれと言われた。そこで左京区役所に向かう。左京区役所はなんだか辺鄙な場所にあった。そこで転入の手続きを済ませ、免許の住所を変えるための住民票を取得した(なお、3/12時点で免許の住所更新の手続きはまだ行っていない)。年金に関する手続きもしようと思ったが、所属大学の変更に伴う学生納付特例の申請は年度が変わってから行えと言われた。
歩いて不動産屋に向かっていると、つけ麺屋の「恵那く」を発見した。名前だけ聞いたことがある。幸いそれほど混雑していなさそうなので入ってみたが、これが今まで食べたつけ麺の中で一番と言って良いほど美味かった。六厘舎のようなひどい混雑がないのも良い。
不動産屋で鍵を受け取って部屋に入った。入ってすぐに、踏切の音が大きく感じられることに気が付いた。踏切は警告を発するために注意を惹くような音を鳴らしているわけで、これを何回も聞いていると耳障りである。次第に踏切が鳴っていない時も鳴っているように感じ始めた。この部屋は直前まで入居している人がいるということで、内見のときは別の部屋を見たのだが、そのときとは感じられる音量が全然違う。部屋の向きが異なっているためだ。この事態は予想していなかった。また、踏切が閉まる頻度が高いため大学へ行くのにも思ったより時間がかかる。これは入居前に自転車で部屋から大学へ向かう実験ができなかったことが原因である。
部屋は広くなったのだが、この踏切の件と、合鍵が作れないことと、照明がリモコン式でないことなどはどうも気に食わない。また、部屋に要りもしないとある機能が付いていて、要りもしない機能に金を払っていると思うとモヤモヤする。どうしてこんな事態になったのかといえば、母が賃貸住宅に関して出した条件と、私が賃貸住宅に求めるものが噛み合っていないことが原因である。母は私が地震や空き巣にあうことが心配なので、部屋の新しさ、オートロック、二階以上であることなどを求めていた。また、「部屋の広さは心のゆとり」と言って、部屋の広さに関しても要望があった。一方、私は大学に対する近さ(私は遅刻魔である)、家賃(奨学金を取ることができれば、独立生計とすることで自立できる程度にしたかった)、入居の時期(遅いと引越業者が混雑するため、早い方が良い)などについて条件があった。また、キッチンはIHがよかった。これらの条件のもとで部屋を探し、1つ候補を出したのだが、それは母の反対にあった(部屋の狭さと、キッチンからお湯が出ないことを問題にされた)。代案として母が出してきたのは、大学からかなり遠いが部屋が2部屋で築浅という物件であった。結局、この母の案に擦寄らせる形で、IHを妥協するなどし、今の部屋になった。ところが、私の条件と母の条件を合わせるようにして色々な条件を課したため、この条件になかった「踏切」「静かさ」「照明」と言った点では条件の悪い部屋になってしまった。
母は焦って決めるな、翌週には自分が向かって決めてあげると言っていたため、私は焦りを覚え、当日中に決めたいと思った。母でなくても自分で内見していない部屋に住むのは不安が大きいのに、母であれば尚更である。また、翌週に行ったところで状況が変わるとも思えず、ただの交通費の無駄になるはずだと感じていた。
土地勘のある京大周辺ですらこうなのだから、部屋探しはなかなか難しい。とはいえ、マイホームを買ったというわけではないのだから、大した問題でないといえば大した問題ではない。目下の目標は、この踏切の音に慣れていくことだ。できれば、次の部屋は自分の独断で選びたいところだ。
3/8
書類の記入を行い、入学手続きをする。その後はステラのまほうを読んでいた。明日はこの部屋に親が来る。母親に見つからないよう、きらら漫画をゲーム機の箱の中に隠した。
3/9
親と一緒に机やベッドや本棚などを組み立てた。同じ面積の空間でも長方形のスペースより正方形のスペースの方が広く感じられる。そこで、部屋が広くなるよう家具の配置をいじった。
一通り作業した後はヤンパオでご飯を食べた。親は泊まっていった。
3/10
親は帰った。この日は一日中雨が降っていた。けだるい。
シャンプー、リンス、石鹸などを買いに行ったあと、秋葉原で買ったスロウスタート(6)、キルミーベイベー(10)、ぼっち・ざ・ろっく!(1)を読んだ。それにしてもスロウスタート6巻の表紙はめちゃくちゃ良い。眺めていたら日が暮れた。
3/11
京都から東京に出る幼稚園の頃からの友人Iと会った。Iは就職してSEになるという。Iと一緒に数学をやって遊んだ後、実家に帰った。
3/12 (2)
今思えば、後期課程のときの住環境はかなり良かった。後期課程のときの住環境は、このような三極構造をなしていた。
・家。静かな住宅街にある。コンビニに近い。駅にほどほどに近い。
・大学。駒場キャンパスの中でも外れの位置にあるが、それゆえ家から近く、騒がしい学生の集団に遭遇せず通学できる。また、小規模なスーパーマーケットがある。
・下北沢。大規模スーパー、養鶏場直営の卵屋、100円均一ショップ、タイ料理店などがあり、様々なものが揃う。騒がしいが、渋谷より断然マシである。
この3つの重心がそれぞれ自転車10分程度で結ばれていた。この静かな家、静かな大学、賑やかな街という三極構造は実に理想的である。
京都大学では学生街が形成されているために、どのように家を探したとしても、こうした三極構造を形成するのは難しい。そのため、家を静かにしようとすればするほど不便になるだろう。感覚をチューニングし直さねばならない。
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