2019年12月11日水曜日

12/10

また夢に「彼女」が出てきた。振られてから既に7ヵ月経っているが、未だに私は立ち直りきれていない。日中は元通りのように振舞えているが、それは意識の力で「彼女」のことを抑え込んでいるだけのようだ。その証拠に、催眠にかかって意識がぼやけて心のロックが外れると必ず脳裏に彼女のことが思い浮かんでしまう。彼女は私の深層意識に刻み込まれてしまっている。「バーチャルデート催眠」であんなに号泣してしまったのもそういうことなのだろう。

誰か特定の1人を選んで交際するということに言い得ぬ怖さを感じる。それは私に交際経験がなく、私にとって交際が未知であるところから来ているのだろう。そして、更に源流を辿れば、両親に対する観察がもたらした恋愛に対する慎重さということになる。
周りの友人などの多くに交際経験がある。なんだか置いていかれてしまったように感じる。今の私は異性に強い興味がある。恋を楽しんでみたいという気持ちがある。けれども、その反面、強烈な恐怖も感じるのだ。何かを選ぶということは、他を捨てるということであり、可能性を消すということだ。選択には不安がつきまとう。
私は彼女に会うとドキドキした。しかし、彼女に対して感じたのは、それだけではない。ドキドキとは正反対のようであるが、どこかホッとするような安心感もそこにあった。私は、彼女の誠実で、真面目で、飾り気のない性格を知っていた。彼女が優しくて温かい人柄をしていることを知っていた。だから私は彼女を信頼できた。彼女のそんなところが、好きで好きで仕方がなかった。私の「好き」という感情の中身は、ドキドキとほんわかの相反する二つの要素から成っていた。

「荒乙。」の漫画を読んだ。主人公が「えすいばつ」のことを考えたくない、けれども「えすいばつ」するなら泉がいい、と語るシーンがある。これには大きく共感した。私は、今も、えすいばつを自分ごととして捉えることができていない。自分がえすいばつすることを想像できない。えすいばつに興味はある。でもそれを実際に行うことを思うとどうにも怖い。底知れぬ不安を感じる。
だから、もしえすいばつをするとすれば、初めては安心できる相手がいい。「彼女」がいい。「彼女」以外は考えられない。今の自分にとって、恋愛に関する不安を取り除いてくれそうな相手は彼女しかいない。
私は、未だに彼女のことが好きだ。今も、こんな文章を書いたせいで、無理矢理抑え込んでいた感情が溢れ出して、胸が詰まって、息が苦しくて、目はもう泣き始める寸前で、頭が痛くて、その場で倒れ込んでしまいそうだ。彼女のことが好きで、どうしようもなく好きで、好きで、それなのに彼女を好きでいることはもう許されなくて、彼女のことが好きな自分が気持ち悪くて、どうすればいいのかわからない。この葛藤のために、生きていることそれ自体が、苦しくて仕方がないのだ。

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