性的。
アダルトサイト「nanairo」でオナニーのライブチャット配信を見ていた。
「彼女」は私の性的欲求における特異点である。(裸で迫られたらしてしまうだろう、程度の人なら多くいるが)私が、はっきりと、積極的に、主体的に、性行為がしたいと思えた相手は「彼女」しかいない。どんな美人であっても、自分がその人と性行為をしたいとはほとんど感じない。これは、私の性的嗜好の異常性から来ているのだと思う。アダルトビデオを見ている時の自分を振り返ってみると、私は性行為をしている男ではなく女の方に感情移入していることに気が付く。すなわち、性行為をしている女を見て、その女と性行為をしたいと思うのではなく、その女に乗り移ってその女として性行為をしてみたいと感じるのだ。そして、自分が女として男を求め、喘ぎ、痴態を撮影されている様を想像して性的興奮を覚えるのである。異常であるのは自覚している。ただ、ホモセクシャルなのではなく、単なる性的倒錯である。これは私が異性愛者であるがゆえの性的嗜好であり、私は、倒錯した形ではあるものの、紛れもなく女性の裸体に性的興奮を覚えているのだ。
グラビア写真であるとか、コスプレイヤーの写真であるとかに言い得ぬ性的興奮を感じるのも、女の子になって魅力的な容姿を見せつけてちやほやされたいという欲求が根底にあるのだろうと思う。
それにしても、私はどうしてこんな文章を書いて公開しているのだろうか。それは、私の思想の中に
・私は人間である以前に動物であり、性的欲求も含めて考察することが自己の幸福の追求において鍵となるはずだ
・思索の基盤は言語活動だ
・言語は思考伝達の道具であり、言葉は受け取り手がいてこそ活きてくる
という考えがあるからである。受け取り手の存在を全く想定しないと、文章を書いて思考をまとめるという行為にモチベーションが生じないのだ。
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