2024年6月12日水曜日

6/11

彼女に、しばしば「どうして私が好きなのか」と聞かれる。そしてその度にうまく答えられないでいる。
彼女に言わせれば、もっと他にいい人がいるのではないかとのことだ。これは自慢だが、私は東京大学を卒業している。それと比べると釣り合っていないという思考になるのもわからなくはない。

しかし、好きになってしまったものは仕方がない。彼女と一緒に過ごす時間がなんか楽しいのは確かだ。日常の色々な出来事を共有したくなる。一緒にやりたいことが色々ある。今これを書いているだけで、彼女のことが気になってしまって、胸が締め付けられるように苦しくなる。なぜなのかはよくわかっていない。
生まれてきてしまったからには生きるしかないのと同じで、好きになってしまったからには恋をするしかないのだろう。客観的に見てどうこうという問題ではない。いわば、これは実存の問題だ。

「ポプテピピック」という漫画に出てくる、「そうはならんやろ」「なっとるやろがい」というセリフを思い出した。これはギャグではあるはずだが、どこかヒトの実存に重要な示唆を与えるコマのような気もする。不安な夢から目覚めたら虫になっていたとして、「そうはならんやろ」と言われても「なっとるやろがい」としか言いようがない(虫になっていたら声には出せない)。
「なっとるやろがい」というセリフに、不条理を受け入れて神に反抗した「シーシュポスの神話」的精神まで見出すのはやりすぎかもしれない。とはいえ、恋とシーシュポスの岩にはなんらかの関係があるような気がしてならない。

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