2018年12月16日日曜日

12/11 午前: 浜離宮

注意: 排泄の話が苦手な方は、この記事を読まれないことをおすすめする。


4時頃起床し、いつもの如く入谷で降りて鶯谷の萩の湯に向かう。ぬくぬく温まって、8時頃萩の湯を発った。銀座線に乗り換え、新橋で降りる。目的地は浜離宮である。23区内の都立庭園でまだ行っていないのはあと浜離宮と芝離宮だけだ。まだ紅葉が見られる今日の内にコンプリートして、都内巡りの旅完結といきたいところだ。
9時半に浜離宮に着いた。広い。潮の満ち干を利用した広大な池、その向こう側で映える紅葉、ぶらりと歩けば海が見えてそこを水上バスが走っていく。素晴らしい。池を一望できる富士見の山というものがあり、登ってみた。少々寒いが、広々とした空間の中に散りばめられた秋から冬へと移り変わっていく庭園の色彩が最高だ。少し道を戻って360度見渡してみる。庭園の静かさに紅葉の景色が調和して、やはり気分爽快......爽快......お腹が痛い......。急に冷えたことで下痢になったらしい。慌ててパンフレットを取り出す。ここから一番近いトイレは松のお茶屋の近くにあるらしい。私は走った。そして、走った私を待ち受けていたのは、絶望の二文字であった。


神は死んでいた。どうしようもないほど厚い壁、決して超えることのできない、厚い、厚い壁が、私と便所を隔てていた。その壁を前に、私はどこまでも無力だった。

私は走った。次の便所を探すために。便所を備えていたはずの入り口へと戻るために。だが、どういうわけか、私が走れば走るほど、私は見たこともない場所へと導かれていくのだった。私は己の運命と大腸を呪った。そして、ようやく元いた入り口に着いたとき、私は既に己の尊厳の一部を諦めていた。人生諦めが大切だ、そう自分に言い聞かせながら、私は残りの大便に別れを告げた。その別れがあくまで文明的な別れであったことだけが、私を慰めてくれた(*1)。
午後は人と会う用事があった。このまま人と会うなんてことはあってはならない。私は芝離宮に行くことを諦め、半ベソで帰宅し、下着を捨てた。私の視覚と嗅覚で判断する限り、ズボンは以前と同じ姿でそこにあるようだったが、念の為後ほど洗うことにして履き替えた。
私は心に深い傷を負ったが、いつまでも悲しんでばかりではいられない。私には午後の用事がある。発たねばならぬ時が来たようだ。私は、ドアを開け新しい一歩を踏み出した。そこには、いつもと変わらない寒空があった。

(*1)上の写真は、こうして腹痛が解消された後、わざわざそこまで戻って撮影したものである。

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