注意: 性的。
アニメ「女子高生の無駄づかい」を見た。原作ファンなので期待して視聴し始めたが、期待以上の出来だった。バカを赤﨑千夏が演じている時点で面白いに決まっているのだが、それ以上の素晴らしさが詰まっていた。原作1巻の「ゆらい」を膨らませていたのが特によかった。マジメの「ご家族がら族さん」のセリフなんてもう最高だ。あまりの面白さに感動して泣きそうになってしまった。この調子で是非ロリのおばあちゃん回やワセダの散髪回を最高のクオリティでアニメ化してほしい。これからも楽しみである。
続いて「荒ぶる季節の乙女どもよ。」1話を見た。ふむふむなるほど、女子高生がセックスを意識し始める、という話か......。へえ......。私が高校生の頃は、性行為という概念自体は知っていたが、学校で意識することはほとんどなかったし、どこか別世界のことのように感じていた。交際しているカップルはいたが、性行為をしている人たちはほとんどいなかったのではなかろうか。それくらい、私は高校で"性の匂い"を感じることがなかった。このアニメの子たちが通う高校にはセックスについてあけすけに語る生徒もいるのだから全然違う環境である。もっと学力的に入りやすい高校だとあんな感じなのだろうか。私が鈍感なだけというだけの違いではないように思われる。
性にまつわる会話で思い出すのは、私が大学2年のときの、ある飲み会での出来事である。大学2年の頃、ずっと交際相手のいなかった友人が異性と交際を始めるという出来事がそこかしこで起こった。私はそれを微妙な気持ちで眺めていた。そして、その飲み会では、酒が進むに従って周りの人たちが交際や性行為について話し始めたのだ。私はきまりが悪く感じた。私は会話に入ることができなかったし、それに耳を傾け続けることも耐えられなかった。私はこのとき、彼ら彼女らと自分との間に横たわる溝を、恋愛の先にあるものは性行為であることを、そして性行為は他ならぬこの現実世界の概念であることを突きつけられたのだった。性の匂いがしなかった友人が急に性の匂いを漂わせ始めたことや、親しかった友人と急に話が合わなくなったと感じられたことが、私には大きなショックだった。
恋愛トーク空間と化したあの場において、会話を楽しめていなさそうな者がもう1人いた。それが「彼女」だった。私は席を離れ、彼女の近くへと移動し、彼女と会話し始めた。彼女との会話は、その日で一番弾んだ。楽しかった。性の匂いのしない会話が心地よかった。そう、私はこんな会話がしたかったのだ......。
あのとき彼女に対して感じた居心地の良さは、今思えば間違いなく恋愛感情の萌芽だった。しかし、当時の私には、後の自分が「彼女」を性的なまなざしで見つめる人間になろうとは想像もつかなかった。帰宅した私の胸には、彼女にまた会いたいという気持ちが確かに生じていたが、それは単に友人としての会話が楽しかったからというだけのことだと思っていた。
それから時が経ち、やがて私は自分の彼女に対する感情は恋愛感情に他ならないと確信するようになった。そうして急に性欲を示してきた私に対し、彼女は「友人としか思えない」と返事を返すのだから、なんというか皮肉なものだなあと思ってしまう。
そんなことを回想していると、アニメを集中して見ることができなくなって、途中でテレビの電源を切ってしまった。私は、じんわりとした恥ずかしさを覚えながら、しばらく黒い画面を見つめていた。こんな調子で、果たして私は「荒ぶる季節」を完走できるのだろうか......。先が思いやられる。
0 件のコメント:
コメントを投稿