「おく」と造幣局の見学に行った。あんまり技術的な細かい話はしてくれないなど、ノリがオタク向けでなくて合わなかった。まあタダなので別にいいか。結局、火力発電所見学がいかに神回であったかを再確認する結果となった。
おくを誘った経緯がおくにうまく説明できなかった気がするのでここで補足しておくと、
- 3月中旬、「彼女」の平日の予定が空いているうちに造幣局に行こうという話になるが、予約ができず、他を探すことになる。
- 3月下旬、代わりに食品工場に行こうとするが、その話も流れる。
- 4月上旬、神戸のハーブ園に行くことを提案する。
- 4月下旬、おくと麻酔博物館に行き、次はどこに行こうかと議論するも、造幣局のことは思い出せずに終わる。
- 5月上旬、「彼女」に振られる。
- 5月中旬、「初恋」をアップロードする。その執筆過程で造幣局のことを思い出す。おくと造幣局に行こうと思い立つが、「初恋」をアップロードするのであればその後に誘うべきである(そうでないと騙し討ち感が出る)と考え、「初恋」を完成させた後、おくに造幣局に行くことを提案する。
次におくと遊ぶ場所はどこがいいだろうかと帰り道で考えてみた。ゴミ処理場とか、新聞工場あたりが有力か。もっと、これだ!とピンと来るような場所はあるだろうか。
6/25
久しぶりに研究室に行ったら先輩に「久しぶり」と言われた。「あっはい......」と返事すると、会話が終わった。「久しぶり」くらいしか言われなかった。
北野白梅町駅近くの「衣笠温泉」に行った。友達から、ここには冷凍サウナがあると聞かされて興味を抱いたのだ。行ってみると、これが楽しい銭湯だった。まず風呂が多い。4階まであるのだ。1階が普通の銭湯みたいな感じ、地下にラジウム泉、2階にサウナ、3階に冷凍サウナと檜風呂、4階に露天風呂だ。この詰め込みっぷり、テンションが上がる。冷凍サウナだが、結構気持ちいい。何がいいって頭まで冷えるのがいい。水風呂よりも入りやすいが、その一方で水風呂のように何分も入るのは厳しいと思う。ちょっと入ってシャキッとするのがいい使い方だろうか。いやー良かった。
6/26
天ぷらが食いたくなり、鞍馬口駅近くの天ぷら屋「鈴」に行く。やはり期待を裏切らぬ美味さだった。東の方へ来たついでに無料抹茶でも飲もうかと近くの茶道資料館に寄ったが、休館だった。残念だ。何が残念かというと、下調べをせず無計画にほっつき回っていらぬ疲れを貯める自分の頭が残念なのである。
京都府立植物園に行ってみた。わざわざ京都まで来て植物園なんて......と思って京都に観光に来ても一度も立ち寄らなかったスポットだが、京大生ならタダということで行くことにした。入ってみると予想外にでかい。一通り見て回るだけでもなかなか疲れる。これが一般200円なのだからお値打ちだ。温室に至っては植物が多すぎて植物を見るのに飽きてしまった。
しかし植物園というと思い出すのがどうしても神戸布引ハーブ園の記憶である。私は花を見るたびに当時のことを思い出して向こうの世界に旅立ってしまい、現実に目の前にある植物のことをまともに見ることができなかった。そんな自分に気が付いて、私は純粋に植物園を楽しむことができない人間になってしまったのかと悲しくなった。
まあとにかく京都府立植物園はなかなか穴場スポットめいていてオススメである。「彼女」にも「あのハーブ園が楽しかったのならオススメだよ、今度行ってみたら」と言ってあげたいものだが、「彼女」との連絡が絶たれているのがつらいところだ。
6/27
6/24からの3日間、上記のようにお出かけをした。疲れを感じて憂鬱の波が来た時間帯もあったが、概ね症状は軽く、ほとんど普通に過ごせたと思う。気分が沈みっきりで、ベッドに寝そべって日常系アニメを見るのがやっとだった5月頃を思えば、だいぶ治ってきたといえるだろう。今学期の成績に関してはもう完全に諦めていて、全て放棄するつもりでいるが、来学期からはちゃんとした大学院生に復帰できると予測している。それでもキツいことをするとキツくなっていくだろうから、普通2年かけて取る修士号を、私は研究の時間的密度を薄めて、来学期から2年半かけてとっていく計画にしようと考えている。成果を出すことも重要ではあるのだが、それよりも自分が研究を楽しいと思えることが重要なのだ。今回の罹患経験を通じて、研究は結局自分の好奇心に従ってやるものであって、根を詰めすぎて研究や勉強が苦行と化して知的好奇心が消失するようになっては本末転倒だと気が付いた。これからしばらくの生き方のコンセプトは原点回帰である。
そういえば、もともと、このblogは(ほとんど)誰も読んでいないことをいいことに、練り込まれていないどうでもいい日記や、あんまり広く読まれたくない文章(代表例が「12/11 午前: 浜離宮」だ)なんかをアップロードする場というコンセプトで始めたものである。しかしながら、この記事には、一部あからさまに"誰か"に読まれること前提の内容を書いてしまった。これはよくない傾向だと感じる。こちらに関しても原点回帰をして、ここではなるべく人目を気にせず好き勝手やっていきたいな、と思った。
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